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  • 【臨時更新】鹿島町久保の鹿島街道で山崩れ 現場周辺は通行止め 復旧まで1週間か

    24日午後11時ごろ、いわき市鹿島町久保二丁目の県道小名浜・平線(通称・鹿島街道)で山崩れが発生し、約40㍍にわたって道路をふさいだほか、信号機をなぎ倒すなどの被害が生じた。けが人はなかった。

     

    県土木部では、同市鹿島町船戸字柿境-同市鹿島町走熊字小神山の1・5㌔を規制しており、国道6号常磐バイパスにう回するよう求めている。二次災害を防止するため、崩れた場所に大型土のうを設置する作業を施し、1週間で暫定的な復旧をする見通し。

     

    山崩れが起きた当時、まとまった雨は降っておらず、県などでは詳しい原因を調べている。現場の岩壁には、市指定文化財「久保磨崖仏(まがいぶつ)」があったが巻き込まれた。久保磨崖仏は鎌倉時代に彫られたとされる4体の如来像で、風化が進んでいたため保存のあり方が問われていた。

     

    最終更新:8月25日(日)午後5時22分

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16年ぶり〝奇跡の防波堤壁画〟と再会 平成15年の卒業記念 小名浜東小の児童制作

2019年08月24日(土)更新
小名浜東小を平成15年に巣立った子どもたち制作の魚などの壁画20枚が、今も小名浜港の沖防波堤東端に残る。全長約2・5㌔の沖防波堤は幾度もの台風や大しけから港を守り、震災時には繰り返し押し寄せる津波を受け止め、港湾、市街地の被害を最小限にとどめた功労者。壁画は防波堤の象徴で、故郷を守り抜いた〝奇跡の防波堤壁画〟と卒業生が24日午前、16年ぶりの再会を果たした。

震災時、防波堤は繰り返し押し寄せる津波を受け止め、波を分散させ、港の被害を最小限にとどめた。最も沖側にある沖防波堤は一番最初に波を受ける重要な役割を果たし、壁画(縦1・5㍍、横3㍍)はその象徴として長く漁業、港湾関係者に親しまれてきた。描いたのは、小名浜東小の平成14年度の卒業生86人。卒業記念として原案から設置まで3カ月もの歳月をかけて制作したという。

塩害に強い特殊な絵の具を使ったとはいえ、幾度もの台風やしけ、津波に耐えた姿は漁業、港湾関係者を驚かせており、話を聞いた小名浜まちづくり市民会議(小沼郁亙会長)の歴史と文化づくり委員会(小野浩委員長)では、震災を乗り越えた〝奇跡の防波堤壁画〟の存在を広く知らせるとともに、壁画との再会を通じて卒業生に勇気と感動を与え、郷土愛を育んでもらおうと、見学会を企画。趣旨に賛同した東洋建設福島営業所の協力を得、恩師や卒業生に声を掛けた。

集まったのは卒業生10と恩師2人。観光遊覧船「ふぇにっくす」に乗船し、東港などを見学しながら、壁画との待望の再会を果たした。壁画はメヒカリ、アンコウ、カツオなどが描かれ、卒業生の名前も。卒業生たちは久しぶりに見る壁画を眺め、童心に戻って感動し、スマホで写真を撮るなどはしゃぎ、思い出話に花を咲かせた。

一緒にタイを描いたという片野悠記子さん(28)=小名浜、伊藤亜矢さん(29)=四倉=は大喜びで、「絵を描くため、バスに乗って港に行った記憶がよみがえった。学校生活で一番楽しかった。当時と変わってなくてびっくりしたし、友達と一緒に見られてうれしい。津波を耐えたのは本当にすごい」と大興奮。

当時2組の担任だった宍戸宏さん(45)=西白河郡矢吹町・中畑小教頭=は、3組担任の大町京子さん(53)=平一小教諭=とともに喜び、「懐かしい。(津波を乗り越え)よく残ってくれた。感慨深いし、子どもたちにはこれからも地元を愛してほしい」と目を細めていた。このあと卒業生と恩師たちは近況報告をしつつ、当時テレビで流れた映像を鑑賞し、思い出を振り返った。

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来年に迫った東京五輪と併せてパラリンピックも開催されることから、障がい者スポーツへの注目度が飛躍的に上がった▼競技人口が増え、施設が充実し、障がいをカバーする用具の改良も目覚ましい。何と言ってもマスコミが取り上げるようになり、スポンサーも動いた。来年は障がい者スポーツが1つのピークを迎える年になるだろう▼高齢化が進む中では、年配者のスポーツも盛んになった。高齢者=ゲートボールの時代ではない。ニュースポーツという名の体に負担の少ない新しい競技が増えた。野球や水泳など昔からの人気種目にも独自の大会が増えた▼そんな中に5歳刻みで競うマスターズ陸上がある。世界記録への挑戦も不可能ではなく、90歳、100歳でも大会に参加できる独特の競技といえる。若いときに競技経験がなくとも勝負できる。走って跳んで投げて…。本人の意欲と衰えの幅が小さければ好記録を狙えるのが魅力だ。もっと参加者が増えていい。

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