そろそろ老齢にさしかかる今、しみじみ思い出すシーンがある。それは小学生のとき(昭和40年代だ)、母親と連れだって堆肥用の木の葉をかき集め、風呂を沸かすたき木にする柴刈りに出かけた近所の山でのことだ▼お昼に食べた弁当の箸は細い生木を削ったものを使った。太いつららがあってかじって食べたし、母はよくユリ根を見つけて土産に持ち帰った。沢で化石を発見して喜んだかと思うと、トグロを巻いた蛇と鉢合わせになって逃げ帰ったりもした▼40年余り前、山は生活の糧であり子どもの遊び場だったのだ。山は日常の中にあった。しかし今、山は市民から遠い存在になった。お仕着せのような自然体験教室が開かれなければ山に入ることはほとんどない▼林業に携わる人の高齢化が進み、後継者不足も深刻になる。放棄林が増え、植林されないままの山が増える。農業や漁業のようには関心をもってもらえない林業家の切なる声に、耳を傾けなければと思う。
片隅抄