野茂英雄が95年に日本のプロ球界から石を持て追われるように米球界入りをしたとき、「ヒデオは私の息子だ」と分厚い胸で抱き締めたのは野茂が入団したドジャースのラソーダ監督だった▼冒険家の植村直己が人類初の北極点単独行に成功した陰には、イヌイット(エスキモー)と共同生活をした経験が役立った。そのとき植村を本当の息子のように受け入れたのは心優しい現地の養父母だった▼タカサゴ家のお父さんは家計を助けてくれた腕白坊主アキノリ君をうまくしつけることができなかったし、親類のおじさんたちも見て見ぬふりを通した。オザワ家もそうで、コワモテのお父さんのためにいたずらをしてお巡りさんにしかられた親孝行の3人息子のために頭を下げることもなく、知らんぷりだった▼世の中にはさまざまな〝親子〟関係があって、それは時として血より濃い場合がある。社長と社員の関係もそうだろう。この不況を、固い絆で乗り越えたいものだ。
片隅抄