小名浜地区西部の山間部にあるわが町は昭和40年代ごろまで、NHKの人形劇をもじって〝チロリン村〟と呼ばれた▼山と田畑ののどかなへき地だと揶揄されたのだが、現在では人口が急増する隣町の造成と住宅建築の流れが押し寄せ、こちらの田畑も一部が宅地化され、かつてのチロリン村も新しい住宅街の様相を呈してきた。そのうち初のコンビニが登場するかもしれない▼新しい形がうまれている半面、古くからの風習がまた1つ消えた。春秋の神社の祭礼で町内に建てる大きなのぼり旗だ。祖父の代のさらに昔から地区の有志が早朝から集まり、重い支柱や太く長い杉の木で作ったポールなどを運んで1から組み立てていたのが、コンパクトで軽く丈夫な掲揚台を常設することになった▼本神輿の渡御も2年前から軽トラックで運ぶようになった。〝合理化〟は時代の流れなのだろうが少しさみしいような気もする。チロリン村は、どこにでもある風景の町になった。