明治政府は1873(明治6)年1月14日に廃城令を公布した。一国一城令や武家諸法度で約340に激減した城は版籍奉還で多くが打ち捨てられ、廃城令が追い打ちをかけた▼姫路城、備中松山城などは酷く荒廃したが、住民の懸命な保存運動が実り復活。シラサギが羽を広げたような優美な姿から〝白鷺城〟の愛称で親しまれた姫路城は、奈良の法隆寺と共に日本初の世界文化遺産となった▼市井の人々にとって城は封建時代の象徴で、朽ち果てるのは「致し方なし」と映ったのだろうか。古いものは壊し、または新しい価値観を受け入れて潮流を生み出す。後進国が国際社会で飛躍した原動力がそこにあった▼ただ時代は変わった。いらぬものは壊せばいいというものではない。白鷺城がいい例だ。今、心平が愛した小川郷駅舎が存続の危機に立たされているという。「部外者が勝手なことを言うな」と叱られそうだが、後悔するような判断だけは決してしないでほしい。