小学生のころ、隣町から行商に来た魚屋さんから、母親が鯨の赤身を買っていたのを思い出す。文字通り〝ブロック〟がごとくの大きさだった▼昭和40年代前半は、まだ鯨肉は安価で、身近な存在だったのだ。そんな子供時代だったから鯨料理には目がなく、20年ほど前に、東北地方の捕鯨基地である当時の宮城県・鮎川町で鯨料理のフルコースにありつけたときはうれしかった▼先日、いわきから車で8時間をかけ、千葉県は房総半島の南にある和田町に出かけた。ここも数少ない捕鯨基地である。心臓、尾羽、皮、百尋(小腸)、舌などの珍味で腹を満たしたのは言うまでもないが、食べるだけでなく、日本人の生活や文化の中で鯨がどれだけ深くかかわってきたのかを調べると実に興味深いものがある▼小名浜漁港にある冷凍倉庫の壁面に『紙本着色磐城七浜捕鯨絵巻』が描かれている。いわきもまた、捕鯨のまちだったのだ。いわきでの鯨文化を調べてみるのも面白い。
片隅抄