津波被害のあった市内沿岸部出身の女性から手紙をいただいた。襲来時に家に居たご両親が亡くなったという▼家ごと流されたため、遺体が見つかったのがせめてもの救い―という悲しい言葉。何があったのか理解できぬままに時が過ぎたとも。弊社発行の震災写真集『いわきの記憶』を見て「どんな津波にのまれ、なぜ命を失ってしまったのかが、少し分かった」と記されていた▼その写真集も1年9カ月がたち「来春3回忌を迎えることを思い、やっと開く気持ちになった」と話す。が「いまだ2人の死を受け入れられない」とも。「無念です」の一語に胸が詰まった▼「もう」なのか「まだ」なのか。クリスマス会やもちつきなど、楽しい年中行事を取材すれば震災も過去と感じるが、被災者の口からは今もあの日のことが出る。思いはそれぞれの立場によっても違うだろう。だが共通の願いは、一日も早い国と地域の再生に相違ない。その責務を負った480人が決まった。