1月17日は抄子にとって、決して忘れられない日だ。5年前に思いがけず亡くなった敬愛すべき先輩の誕生日。そして、神戸を中心に発生した阪神・淡路大震災▼寝ぼけ眼で何気なくブラウン管のスイッチを入れると、信じられないような光景に目を丸くした。ビル、高速道路が倒壊。そこかしこで炎が上がり、着の身着のまま逃げ出した住民が呆然と町を眺める。学生ながら事の重大さに身震いし、当時よく聞いていたAMKOBE(現ラジオ関西)の放送をかじりつくように聞いた▼数年後、兵庫に進学した同級生と再会し、被災の状況を聞いた。「ベッドにいたが、ピンポン玉のように跳ねた。部屋はめちゃくちゃだったが、命があっただけ儲もうけもの」▼揺れは小名浜でも観測されたことを記者になってから知り、危機意識は格段に高まった。6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から26年。東日本大震災を経験したが、生き残れたのは当時の学びがあったからだ。
片隅抄