いわきの住所表示を見ていると本当に面白い。地名からその土地の歴史や風土、地形の一端に触れることができるからだ▼最近知った中之作の「戦」「勝見ケ浦」。この港に官軍が上陸した戊辰戦争あたりが由来か。市内一長い「勿来町白米龍春寺山境より宮沢まで」と記した書類や手紙を見てみたいし、好間町にカナ書きの「ホウシカサキ」と漢字の「法師ケ崎」があるのだが、命名時にどんなやり取りがあったか興味深い▼昔から言われているものでは平の一~六町目(六町目だけ字がない)と十五町目の間の○町目はどうしたのか、なぜ勿来・常磐・内郷地区だけ住所に字が付かないのか、というのを知っている人も少ないと思う▼平市街地には磐城平城下町時代の名残の鍛冶、大工、鷹匠、材木、紺屋、仲間などの町名があるが、四倉町細谷にも御殿を中心に御殿東、馬場、御厩、馬場、飼料畑、御舟蔵という字名が広がっている。住所の謎は迷宮の中に入り込んでいる?