「今後小澤氏の指揮するコンサート、録音演奏には、一切協力しない」。1962(昭和37)年、NHK交響楽団の演奏委員会が、当時27歳だった小澤征爾氏に向けて〝絶縁〟を表明する。世にいう「N響事件」だ▼若い小澤氏と年長者の楽団員とのあつれきや、マスコミの論調が原因だったとされる。これに対して浅利慶太、石原慎太郎、井上靖、大江健三郎、谷川俊太郎、三島由紀夫といった気鋭の文化人も参戦。世代間の争いにまで発展した。小澤氏とN響は和解するが、両者が再び手を取り合うのは実に33年後の話となる▼こうしたエピソードも、もはや歴史となってしまう。どの演奏を最高とするかは後世にゆだねられ、「世界のオザワ」は逝ってしまった。そのニュースは海外でも速報されるほどだった▼不安定な社会情勢やコロナ禍に際して、音楽を通し、世界は一つになれると語っていた小澤氏。クラシック好きの末輩として、心に刻み続けていきたい。
片隅抄