奥能登で起きた豪雨被災の惨状を目にし、ふと東日本大震災当時を思い出した。地震に津波、まち一帯を焼き尽くした火災、そしていまも続く原子力災害▼浜沿いで被災し津波に遭い、一時は「もう駄目だ」とあきらめた。疲労の極みにあったが、使命感だけで被災地を歩き回った。発生からひと月後、知人を亡くし、流された家をようやく見つけたという年配の女性に話を聞いた。「お互い命があっただけでも良かったよね」と逆に励まされ、取材を終えた後、波の音しか聞こえないがれきの端で涙をこぼした▼どうして能登ばかりこんな目に遭うんだ。せっかく明るい兆しが見え始めたのに。取材にこう答える被災者の姿と13年前を重ね、強く胸が痛んだ▼能登では今後、〝復興〟という言葉が行き交うのだろう。復旧は実感できるが、復興とはやっかいなもので、個々によりとらえ方が違う。少なくとも抄子は復興を感じていないばかりか、日々憤りだけが増えている。