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小川町・草野心平記念文学館 新1万円札の肖像・渋沢栄一といわきの関わり紹介

 新1万円札の肖像に選ばれ、「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一(1840~1931)といわきの関わりを、小川出身の詩人草野心平の実祖父で、常磐炭田の開発に貢献した実業家で、政治家の白井遠平(1846~1927)を通じて紹介する特別スポット展示「渋沢栄一といわき」が、小川町の市立草野心平記念文学館で開かれている。
 弊紙で「忘れられた文学、藁谷達」を連載している遠平の玄孫(やしゃご)で心平の縁戚でもある関内幸介さん、同じく「最後の日々―心平と久代―」を連載中の関内さんの次男裕人さんの協力で、関内家が所蔵する貴重な直筆書など15点を展示した。10月27日まで。
 白井遠平は下野国芳賀郡真岡(現・栃木県真岡市)の円林寺で生まれ、1856年に父幸助が陸奥国磐城郡上小川村川原の名主白井佐平太を継いだことで、上小川村(いわき市小川町)に移り住んだ。
 旧磐城平藩の儒者神林復所の塾に通い勉学に励み、戊辰戦争を経て自由民権運動を推進する政治結社興風社に加入し、福島県議に当選。県議会副議長、菊多・磐前・磐城郡郡長などを歴任し、1890年の第1回衆議院総選挙で当選を果たす。
 実業家としても手腕を発揮し、縁戚の草野紋十郎(遠平の娘と紋十郎の息子が婚姻)らとともに、内務卿の大久保利通が推進する殖産興業の一環として、酪農・乳業の株式会社「牧牛共立社」を立ち上げ、その後、入山採炭株式会社、株式会社磐城銀行、好間炭礦株式会社の設立に関わった。
 渋沢栄一とは、1885年春に当時湯本随一とうたわれた旅館、新滝で会談したのが初めてで、磐城の炭鉱問題について意見を交換。翌86年6月には、平字三町目に位置していたと推測される遠平が興した開産会社で、後の「セメント王」と称された実業家浅野総一郎を交え、3人で磐城炭礦株式会社の設立と経営、運炭方法などを協議した。
 <1>湯本―小名浜間に軽便鉄道を敷設し、港で船積し東京に搬出する<2>水戸―仙台間を連結する常磐鉄道を開設するといった内容で、これ以後、3人は40年間公私ともに親交を続ける。
 スポット展では、渋沢史料館(東京都北区)提供の写真とともに、いわきの産業経済の礎を築いた遠平の功績をたたえる資料が並んでおり、来館者は栄一が認めた逸材を知り、興味深そうに資料をのぞいている。
 観覧料無料。開催時間は午前9時~午後5時。休館日は毎週月曜となるが、9月16、23日と10月14日は開館する。
 (写真:貴重な資料が並ぶスポット展示)

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