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美空ひばりさんブロンズ像 「みだれ髪」塩屋の岬へ ゆかり著名人やファン集結
昭和を代表する歌姫・美空ひばりさん(1937~89年)のブロンズ像が、ゆかりの地の平薄磯・塩屋埼灯台下の「雲雀乃苑」に移設された。17日に県内外から駆け付けた約600人(主催者発表)のファンらが見守る中、除幕式が開かれた。ひばりさんが1987年にリリースした「みだれ髪」は、塩屋埼灯台と海を見つめる女性を重ねており、その縁でブロンズ像は京都から、歌碑と遺影碑が立つ雲雀乃苑に移された。
ブロンズ像はひばりさんの等身大で、京都にあった「美空ひばり座」を経て、同じ京都の東映太秦映画村で来場者を出迎えていた。しかし今年4月、展示する建物が老朽化で閉館したため、観光振興を狙いに、関係者の熱意と土地を所有する市の快諾で、雲雀乃苑が新たな場所に決まり、防錆加工が施された。
除幕式ではひばりさんの長男で、ひばりプロダクション代表取締役社長の加藤和也さんがあいさつに立ち、東日本大震災直後に来市したエピソードを紹介した。地元の人たちが、ひばりさんの歌碑が津波で流されずに済んだと喜んでいたと振り返り、「母との縁で何か恩返しがしたいと赴いたが、逆に力を与えていただいた。これからも塩屋の岬を母に見守ってもらい、そして皆さんにも見守ってもらえれば」と語りかけた。
この日はひばりさんとの縁から、歌手の近藤真彦さん、いわき応援大使でテレビプロデューサーの石井ふく子さんに加え、司会としてフリーアナウンサーの徳光和夫さんが駆け付けた。
近藤さんはリハーサル中のひばりさんに気付かず、「あのおばさん、歌うまいね」とつぶやいた逸話を披露。ひばりさんの耳に届くと、周りのマネージャーやスタッフは大わらわだったが、楽屋に誘ってもらい、一緒に弁当を食べたと明かした。また全国ツアーの合間を縫っての出席とあって、「いわきでもライブします」とリップサービスをしてくれた。
石井さんは「皆さんに来ていただき、ひばりさんも喜んでいると思います。ぜひお話をしてほしい」と呼びかけ、徳光さんもひばりさんとの思い出を紡いだ。
除幕は内田市長、みだれ髪の作詞を務めた星野哲郎さんの音楽事務所「紙の舟」の木下尊行さん、ひばり像移設委員会の宇佐見進会長も交え、徳光さんの掛け声で幕が引かれた。会場では除幕式に合わせ、地元関係者の手で、フラやダンスでひばりさんの楽曲が再現され、参加者を楽しませた。
(写真:ブロンズ像を前にする徳光さん、近藤さん、石井さん、加藤さん=左から)