市勿来関文学歴史館・連動企画
武子(旧姓・赤津)トキ子さんのお話:1935(昭和10)年生まれ、勿来町窪田
学校生活 |
風船爆弾の飛んでいた昭和19年、私は10歳、小学校4年生でした。奉安殿(天皇・皇后の肖像写真や教育勅語などを収めるための建物)にまつられている教育勅語を校長先生が恭(うやうや)しく持ってきて、学校の講堂で読み上げるんです。登下校の際には、先生方の出入り口、二宮尊徳の像、菅原道真の像、奉安殿の四カ所に敬礼をしていました。
空中の時「ワー」とサイレンが鳴るんです。空襲警報になると、より激しいサイレンが鳴ります。それが逃げろという合図でした。櫛田さんという人が火の見やぐらに登って「カン、カン、カン」と鐘を鳴らしていました。
空襲が始まった最初のころは(警報が鳴ると)教室の机の下にもぐりました。その後、勿来第一小学校の校庭に防空壕(空襲のときに避難するため、地を掘ってつくった穴)が掘られたので、防空頭巾をかぶってそこに逃げました。防空壕の中に水がたまっていて膝まで濡れたこともありました。それを何回か繰り返しました。防空壕が掘られる前には、國魂神社に逃げたこともありました。
授業の最中でもサイレンが鳴ったら逃げて、おさまったら教室に戻るのですが、勉強なんて出来ないですよね。
そのうち学校が閉鎖になったので、部落ごとに集まって勉強しました。私は大高の大野八幡神社へ学校の椅子を持っていきました。地面が濡れてぐちゃぐちゃでも、地べたに座って、椅子を机にしました。
終戦のころ |
終戦になる前の日の夜、大日本炭鉱に焼夷弾が落とされました。(焼夷弾で)辺りが明るくなるので、そこに爆撃をするんです。もっと前には、日立方面への艦砲射撃(軍艦からの砲撃)がありました。大雨の中、私たちは山へ逃げました。太平洋の沖から撃ったのに「ガタガタガタ」とすごい音と地響きでした。
そうこうしているうちに終戦になりました。何が何だかわかりませんでした。「飛行機の爆撃が無くなってよかったな」くらいの考えしかありませんでした。学校に(飛行機の)プロペラが飾ってあったのですが、アメリカの兵隊さんが来るというので、それを外しました。教科書は全部黒塗りにしました。「国語の教科書を出しなさい」と言われても、全部真っ黒でどころみればいいのかわからなかったです。
風船爆弾の話 |
終戦になって兵隊さんがいなくなって、見張りもいなくなりました。取り締まりはなく、自由にしていたと思います。(風船爆弾の)余った材料を、作っていた工場で配っていて、みんな持っていました。今のビニールに似ているもので、外側のイロハグレーのビニールのような布でした。内側がゴムみたいでした。外側と内側がはがれるので、それをはがして、空気を吹き込んで風船にして遊びました。ビニールをはがした布は縛るひもにしたり、色々なものに使いました。誰が始めたのかわからないが、遊ぶものが何もなので丸めてボールにしたりもしました。
(風船爆弾が)あがるとき、一気にガッとあがっていきます。それから緩やかに気流に乗って東の方へ飛んでいきました。それがいくつもあがるのを見ました。夕方になるとあがるんです。太陽が沈んでからかな。何時間かのあいだにいくつもあがっていました。
(風船爆弾のことを)話してはダメだよとは言われませんでした。「汽車はよろい戸を閉めるんだって」というくらいでした。何のためのものかはわかりませんでした。あがったときは半球みたいな形でした。下に何かぶら下がっているのは見えました。
戦時中の思い出 |
呉羽の工場があったので爆撃がありました。私の家は農家ですので田や畑で草取りをしようと思っても爆弾が落ちていて(危なくて)出来なかったです。
空襲の時は、食料品が焼けてしまわないように、蔵に入れてあった食料品を運び出しました。
石鹸(けん)が無いので、のみやしらみが下着の縫い目にびっちりとついていたので、かまどの灰と一緒に大きな釜にお湯を沸かして煮ました。頭にもしらみの卵が数え切れないほどついていて、梳(す)き櫛でとかすと(卵が)バラバラと落ちてきました。
国防婦人会というのがあって、農家のお母さんたちが割烹着の上に「国防婦人会」のたすきをかけて、竹やりを持ってアメリカ兵が上陸して来たら応戦しようと、道路で毎日練習していました。
兄は18歳で特攻隊に志願し、戻ってきませんでした。
※体験者の証言を尊重し、文章表現はそのまま掲載しています。
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