2023.08.15
65歳で鬼籍に入った母は、1945(昭和20)年4月16日、川部町に生まれた。当然ながら戦争の記憶はないが、戦中生まれとしてその怖さを後世に伝えたいという願いからか、夏が近づくと、両親から聞いた話を教えてくれた▼同年7月17日深夜から翌18日未明にかけ、米軍による茨城県日立市を標的とした艦砲射撃では、砲弾の音が川部まで響き、暗闇の中で赤子(母)を抱えて裏山を逃げ回った。8月11日、米軍艦載機が呉羽化学工業錦工場(現クレハいわき事業所)を空襲した際=機銃掃射で従業員1人が殉職=は、裏山の防空壕で息を潜めたという▼祖父の兄は中国戦線で命を落とし、祖父は兄の妻と結婚。激戦の南方で死線を何度もさまよった結果、マラリアを発症し〝無念〟の帰国。そして母が生まれた▼敗戦からわずか78年前の出来事だが、日に日に記憶は薄れている。先人の経験、思いを無駄にしてはいけない。国際情勢が不安定な今こそ、強くそう思う。