2013.08.03
今年は、内郷白水町の弥勒沢で石炭の露頭を発見し、それを商業ベースに乗せた片寄平蔵が生まれてから200年ということで、多くの記念行事が行われているが、8月3日はその平蔵の命日に当たる▼平蔵が47歳で死んだ万延元年(1860)には3月に桜田門外の変が起きた。その5カ月後、江戸の笠間藩屋敷で病死したといわれるが、一説には井伊直弼同様、攘夷派によって暗殺されたのではないかとも言われている▼きょうの午前、弥勒沢に近い平蔵の偉業をたたえる碑の前で供養祭が行われた。横浜を栄えさせた1人ともいわれるこれほどの偉人の、わずか150年前の死因が不明のままというナゾもまた、平蔵を研究する人たちの興味をそそる▼郷土の先人の足跡をたどり、それを誇りとして多くの人たちに知ってもらい、ふるさとおこしにつなげ、次代に受け継いでいくことが大切だ―長く自宅近くの弥勒沢を守ってきた87歳になる渡辺為雄さんの言葉は重い。