2013.11.11
映画にもなった『武士の家計簿』の著者・日本近世史研究者磯田道史氏の歴史随筆集に『江戸の備忘録』がある。その中に、平藩主内藤忠興(1592~1674)の名を見つけた▼忠興は、領内総検地の実施や、磐城平藩最初の成文法の制定などを為した人物。沢村勘兵衛による小川江の開さくも、忠興の政策の1つだ▼だが同著にあったのは、その妻について。忠興は優れた為政者ながら、女好き。とはいえ側室がいて当然の時代だ。が、妻はそれを許さず、忠興と側室のいる館へ長刀を持って押し入ったそうだ。妻の豪快さもさることながら、400年後までこんな話が伝わっているなど忠興も想像外だったろうと思い、おかしみを感じた▼市発行『いわきの人物誌』にもこの妻に関する記述がある。しかし「武田信玄の孫娘といわれ、気性が強かったと伝えられている」とのみ。執筆した先達もきっと「長刀事件」のことは史料で知りつつ、書かなかったのだろうと、推察する。