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2023.02.13

一昨年、日比谷での用事の道すがら坂下門を訪れた。東京駅正面の行幸通りを歩むこと数分。公孫樹並木に癒されながら外苑へ進むと、白壁の門が視界に入る▼西の丸御殿(現皇居)の坂下にあるのが由来。江戸時代には高麗門を備えた枡形の堅牢な門だったが、同門を撤去し、1887年に渡櫓門を90度変えて移設した。平時は土橋手前で閉鎖され、一般参賀や花見の特別通り抜けのみ使うことが許されている▼当市民にとっては、旧磐城平藩主で幕府老中の安藤信正侯が水戸浪士6人に襲われた〝現場〟として心に刻まれている。長く不名誉の印象は強かったが、困難な外交と財政改革に尽力した信正侯の手腕が近年、再評価されている▼1862年2月13日午前、信正侯は安藤邸を出た矢先襲撃された。つい先日、磐城出の若き漢学者が同邸に偶然滞在し事件に遭遇したという話を小耳に挟んだ。事実は小説より奇なり。詳細は発信元のM氏が後日、弊紙で披露してくれる。

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