震災特集<7>津波迫る列車の乗客救う いわき東署・斎藤さん 経験後世に
「頑張って生き残るよ」。津波が迫りくる中で、高齢女性を懸命に励ます一人の新人警察官がいた。東日本大震災が起きた平成23(2011)年当時、相馬署(相馬市)に勤務していた、いわき東署交通課の斎藤圭さん(38)=警部補=だ。
あの日、偶然にもJR常磐線の上り列車に乗車し、新地駅(相馬郡新地町)で地震に遭遇した。駅舎にはやがて津波が押し寄せるも、40人の乗客は誰一人命を失うことは無かった。それは備えの大切さを自覚し、警察官としての責務を果たした斎藤さんがいたからに他ならない。震災から12年、経験を若い世代に伝えている。
平成23年3月11日は、県警察学校(福島市)を卒業した日で、相馬署に戻る途中だった。車内は一瞬でパニック状態に陥った。やがて揺れが収まると、周りを落ち着かせ、けが人の有無などを確認した。間もなく乗客が持っていた携帯電話のテレビ機能で、大津波警報が発表されたことを知った。
「これは〝あの〟津波と同じものが来る」。斎藤さんの脳裏には、2004年のインドネシア・スマトラ島沖地震の光景が浮かんだ。2カ月ほど前に、警察学校の災害警備の授業で、津波が人や街をのみこんでいく映像を視聴した。ホームから海が見える。「早く避難しないといけない」と感じ、すぐさま声をかけ始めた。
最後尾で斎藤さんは、足が不自由な女性を伴っていた。女性は途中で歩くのをあきらめかけたが、斎藤さんは励まし続けた。津波が来てしまう。このままでは間に合わない――。偶然にも目の前を軽トラックが通りがかり、快く荷台に乗せてもらうことがかなった。
近くにいた住民にも乗り込んでもらうと、後ろから「バリバリ」という轟音が聞こえ、がれきを巻き込む土ぼこりが見えた。間一髪で津波から逃れることができた。
昨年4月から再び海に面した街に赴任した。大津波に襲われた場合のことは常に頭にある。「渋滞する鹿島街道の車両はどう誘導するか」「アクアマリンパークにいる人たちはどうするか」。スマトラ島沖地震を知っていたからこそ、的確な行動が取れたため、いまもシミュレーションは怠らない。
経験を語ることも大切にしている。県警の若い後輩たちにはもちろん、他県の警察学校でも講話に立つ。「少しずつ震災を知らない世代が増えている。請われれば、時間さえ許せばいつでも話す機会を作りたい」。斎藤さんは地域の安心・安全を守りながら、記憶を継承していくと力強く誓った。