ある小料理屋で、女将とじゃんがらの話になった。「兄が亡くなった時、じゃんがらを呼んだけど母が言うには、青年が息子と同世代で辛かったって」▼生前、小説を書いていたという。「講談社の小説現代新人賞を取ったこともあるのよ」。聞けば故人の名は、佐藤武弘。江名町出身で勤めのかたわら作品を発表し、県文学賞青少年文学奨励賞や毎日新聞社児童小説に佳作入選している▼磐城武史のペンネームを持ち、将来を嘱望された新進作家だったが、35歳の若さで病没している。調べてみると亡くなる前の昭和52年、小説「百川東して」で第5回三猿文庫賞を受賞。作品は『6号線』第5号に掲載されていた▼長歌行を物語のベースに、自身の境遇を晩秋の柿の実に例えた内容で、しみじみとした読後感があった。おりしも1日まで市立草野心平記念文学館で佐藤武弘展が開かれていた。夭折の作家を知らずにいたため、同展を見逃したことが悔やまれる。