3月に入り、東日本大震災の日が近づいてきた。5年を迎えるが発生時からしばらくの記憶は消し去ることはできない▼当時、一連のニュースを伝えるテレビは、被災者に配慮しコマーシャルのほとんどが公共広告機構による啓発映像だった。最近読んだ『佐治敬三と開高健 最強のふたり』(北康利著・講談社)によると、機構設立の提唱者がサントリーの佐治氏と知った▼この2人、経営者と宣伝部社員という上下関係にありながら、終生友人同士の交わりを続けたという。ピリオドを打ったのが平成元年、開高の死去。「何をそないにせかせかしてはりまんね、毒蛇はいそぎまへんで」。生前の彼から聞かされた言葉そのままを佐治氏は弔辞で読んだ▼昨日、自分より年若い同僚が急逝した。震災当時はデスクを務め市内の被害状況を刻々と紙面化、できる限りの報道に尽くした。なぜ急いで旅立ったのか。シャイな彼のこと、少し笑って何も言わないだろう。