栃木県へ行ったとき図書館に立ち寄って、下野新聞のバックナンバーをコピーしてもらった▼昭和48年7月、全国高校野球栃木大会での江川卓投手(作新学院)の快投ぶりを地元の新聞がどう伝えていたか興味があったからだ。しかし、優勝するまでの5試合44イニングで被安打2、奪三振75という大記録を残した割には地味な扱いだった▼今でこそ新聞のスポーツ面は見開き2㌻が当たり前になっているが、昔は見出しや写真も小さく、情報量は限られていた。スポーツ雑誌も限られていて、だから春のセンバツで全国デビューするまで江川投手は秘密のベールに包まれた〝怪物〟だった▼今なら最新の細かいデータが簡単に手に入る。江川投手も丸裸にされて少しは苦労したかもしれない。全国の甲子園出場校には毎年何人かいわき出身の選手がいて、今の時期は親元を離れて頑張っている彼らを見つけるのが通例になっている。データはそんな楽しみ方を教えてくれる。