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片隅抄

2022.03.16

 幕末の文久2(1862)年、江戸城坂下門外で公武合体を進めていた幕府老中の安藤信正(磐城平藩主)が尊攘派の水戸浪士たちに襲撃され負傷する。「坂下門外の変」である▼このとき信正の警護に当たっていた藩家老、上坂助太夫の長男大五郎が腰に差していた「國光」を抜いて浪士たちと闘い、藩主の命を救ったという。この刀は後に「坂下丸」と命名されて、磐城平城本丸跡わきにあった龍ケ城(平城の異名)美術館に収蔵された▼同美術館にはほかに、市指定有形文化財で長州藩主毛利秀就(輝元の長男)ゆかりの「馬寮馬具」もあった。鎧や小袖、打ち掛けなどの衣装、なぎなたや槍などの武具なども展示されていた▼かつてはギャラリーとして市民にオープンされ、水墨画や南画、日本画、相撲錦絵のほかサークルによる展示会も開かれた美術館。今回建物が取り壊されたのは致し方ないが、これらの収蔵品の行方が気になる。再び日の目を見ることを願う。

幕末の文久2(1862)年、江戸城坂下門外で公武合体を進めていた幕府老中の安藤信正(磐城平藩主)が尊攘派の水戸浪士たちに襲撃され負傷する。「坂下門外の変」である▼このとき信正の警護に当たっていた藩家老、上坂助太夫の長男大五郎が腰に差していた「國光」を抜いて浪士たちと闘い、藩主の命を救ったという。この刀は後に「坂下丸」と命名されて、磐城平城本丸跡わきにあった龍ケ城(平城の異名)美術館に収蔵された▼同美術館にはほかに、市指定有形文化財で長州藩主毛利秀就(輝元の長男)ゆかりの「馬寮馬具」もあった。鎧や小袖、打ち掛けなどの衣装、なぎなたや槍などの武具なども展示されていた▼かつてはギャラリーとして市民にオープンされ、水墨画や南画、日本画、相撲錦絵のほかサークルによる展示会も開かれた美術館。今回建物が取り壊されたのは致し方ないが、これらの収蔵品の行方が気になる。再び日の目を見ることを願う。

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