歌枕勿来関にまつわる文学と歴史を紹介する、市勿来関文学歴史館の令和5年度テーマ展「勿来関と歌枕」が、同館で開催されている。歌枕として名だたる歌人、文化人が詠んだ和歌や紀行文、水墨画などの史料を軸に、主に江戸時代以降、勿来関をどのように名所、〝文学の地〟として広く認知させていったか、旧磐城平藩・内藤家の政策などと合わせて解説している。
江戸後期の南画家谷文晁に師事した、水戸藩出身の武士で南画家の立原杏所(きょうしょ)作の「勿来山海臨眺」、初公開となる、旧萩藩士で維新後は政府官僚を歴任した杉孫七郎の漢詩「勿来関址を過ぐ」といった同館所蔵品など10点を展示した。4月16日まで。
勿来の関公園は現在、桜の名所として知られるが、市勿来関文学歴史館によると、現存する史料上で最初に植桜が確認されたのは、承応年間(1652~55)=旧磐城平藩主・内藤忠興侯編纂「磐城風土記」から=とされる。
文芸を好んだ大名で、風虎の俳号を持ち歌人、俳人としても知られる内藤義概(よしむね)侯が、承応2年に初めて磐城平藩領を訪れたことや、和歌、俳諧に詠まれた場所を領内に名所として設定していった=野田玉川など=ことから、同館では「勿来の関を和歌に詠まれた勿来関と設定し、訪問した記念に植桜した」と推察。〝歌枕勿来関〟として広く認識される発端となった、と指摘している。
今展に向け、学芸員の佐藤耕太郎さんは明治大博物館所蔵「内藤家文書」の日記「万(よろず)覚書」天和2(1682)年2月11日条を読み解き、同公園に植えた桜が枯れたため、江戸から送られてきた桜を植え、枯れるのを防ぐための処置を施したという事実を明らかに。貴重な万覚書のコピーとともに、公園として整備した内藤家の思惑などを紹介した。
開館時間は午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)。休館日は毎月第3水曜日と21日。10日と4月14日には、同館学芸員が展示内容について解説するギャラリートークもある(事前申し込み不要)。
(写真:展示を解説する学芸員の佐藤さん)
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