五輪の思い出話を語りあえば、世代ごとに共通のシーンが見えてくる▼昭和33年生まれの抄子にとって、鮮明に記憶に残る最初の五輪はジャンプ陣が表彰台を独占した冬季の札幌だが、メキシコとなると君原のマラソン銀メダルや、走り幅跳びの驚異的な世界記録はライブか録画か記憶が怪しくなる▼夏季なら、高校生のとき見たミュンヘンが印象に強い。まだドイツには東西を分ける壁がそびえ、パレスチナゲリラによる選手村襲撃事件もあった。そんな中、体操で塚原がムーンサルトを決め、人気の男子バレーが12年がかりで金メダルを獲得した▼実は、柔道が毎回開催されるようになったのがこのミュンヘンからだった。あれから40年。柔道はJUDОとなり、ロンドンでも日本勢の苦闘は続いた。銀メダルでさえ悔やし涙を流す選手たち。東京五輪でヘーシンクに敗れた神永の表彰台でのシーンを思い出す。当時、抄子は6歳。もちろん録画のモノクロシーンだが…。
片隅抄