原発事故発生当時18歳以下だった県民から甲状腺がんが見つかったという報道を聴きながら、当時高校3年生だった娘を避難させないまま、自宅で年老いた老父母と4人で生活を続けた父親としての判断に誤りはなかったか、反省をしている▼事故後すぐ千葉県に住む兄から、みんなで避難してくるよう要請があったが、生活環境が変わるとノイローゼに陥る恐れがある母が強行に反対。娘だけを預けることにも躊躇し、結局4人で励まし合いながら苦しい生活を共有することになった▼家族の絆は守られた。幸い今のところ娘も元気だ。だがこれから先、発症するかしないかは神様しかわからない▼今も放射線被害を心配して避難したままの市民・県民は少なくない。前双葉町長には退任会見時、いわきはいまだ住むには適さない環境にあるように言われてしまった。何を言うか!と憤慨してみたものの、復興・復旧は進んでも、目に見えない不安感はいつまでも離れない。