8月の終戦記念日にちなんで先の戦争について言及すると、読者から「それは違う」と異論を受けることがある。韓国や中国、北朝鮮ばかりでなく、日本人同士でも歴史認識の相違は、特に戦争にあっては難しいものがある▼「あれは同盟を結んだ者たちへの裏切り行為だったのか、それとも藩の被害を最小限に食い止めるためのやむを得ぬ決断だったのか」。これは戊辰戦争で三春藩が新政府軍(西軍)と戦わずして西へ向かわせたことへの相反する評価である▼〝三春狐〟にだまされた同じ奥羽越列藩同盟の盟友・二本松藩は、新政府軍の予想せぬ速さの侵攻にあえなく落城。二本松少年隊の悲劇はこの最中の出来事で、やがて会津藩も苦境に陥る▼町の歴史民俗資料館の年表には「無血開城」とあった。当時はどの藩も徹底抗戦か降伏か藩論を二分していた。町では今の子どもたちにも双方の考えを教えているのだという。幼い心は先人の決断をどう受け止めるのだろう。