11月の第3木曜。バブル絶頂期フランスワイン「ボージョレ・ヌーボー」解禁日に当たる同日午前0時すぎは、お祭り騒ぎだった。都内の飲食店では、集った人たちが嬉々としてグラスを掲げ、カンパーイとやっていた▼こちらも付き合いのあった酒屋さんから安い船便を注文、1カ月遅れで味わったものだ。この流行には作家開高健さんが関係していたと思う。生前からこのワインを語り、命日の12月9日には「開高健とボジョレー・ヌーヴォーの会」が続いている▼著作『ロマネ・コンティ・一九三五年』を読むと作者と盟友で洋酒会社の社長らしき人物が当時の日本、昭和10年を回顧しながら、当時でいう40年以上前に瓶詰めされた飲む宝石を堪能する▼戦中戦後の飢餓体験は終生消えることなく、厭というほどの草食から、後年クレソンなどの野菜類は口にしなかったという。生前NHKで見た、自宅庭で赤ワインを飲みながら饒舌に語る姿が印象にある。