今年3月末に惜しまれつつ閉園した大久町の「市海竜の里センター」について、これまでの歴史を振り返る冊子「33年のあゆみ」が作成された。発行・編集は海竜の里運営協議会(阿部相市郎会長)が務め、地域にとって大事なレクリエーション施設として歩んできた軌跡とともに、跡地が今後の地域づくりに生かされることを願っている。
市海竜の里センター誕生のきっかけは、1968(昭和43)年10月、大久町の大久川から、首長流・フタバスズキリュウの化石が発見されたことにさかのぼる。
市石炭・化石館「ほるる」によると、フタバスズキリュウは、多くの恐竜図鑑や古代の生き物図鑑に掲載されており、子どもたちにもなじみ深いという。アニメ「ドラえもん」の長編映画にも、80年から3度登場している。
地元の機運も高まり、地域おこし「海竜の里づくり」が立案。政府が全国の自治体に1億円を交付する「ふるさと創生事業」を基に、市民からの公募を経て、90(平成2)年に事業計画を発表し、翌91年6月にオープンした。
開館当初は有志による協同組合で運営していたが、96年から協議会が発足。この年には、平字手掴にあった遊園地・いわきプレイランド「ペピー」から、観覧車とドラゴンコースター、パラトルーパーの3つの電動遊具を移設した。
2002年に、大久町出身の昭和の大歌手・霧島昇が歌った名曲「誰か故郷を想わざる」の歌碑が建立。東日本大震災・東京電力福島第一原発事故を受け、13年には屋内遊び場「いわきっずるんるん」を開設する。
春になると大久川沿いのサクラが一斉に開花するほか、夏にはニジマスつかみどり大会が開催されるなど、多くの人でにぎわった海竜の里。ただ96年度には最多となる年間19万9455人が訪れたが、老朽化や震災・原発事故の影響もあって、近年は来場者数が落ち込み、コロナ禍以降は最終年度を除いて2万人台で推移した。
こうした状況から、市は昨年12月の市議会定例会に用途廃止の条例改正案を提出し、営業終了が決まった。
冊子では関係者の思いが紹介され、阿部会長は「海竜の里センター設立には、多くの方々の汗と努力がある。この間の歩みを振り返れば、フタバスズキリュウをはじめ、全国有数の化石発掘地としての評価や、霧島昇記念館構想などの動きもあり、郷土に目を向ける機会になったと思う」と強調。運営にかかわった住民からは一様に、新たに活用されることを願う声がつづられている。
A4フルカラー・12ページ。市観光振興課や市内の図書館、久之浜・大久地区の機関・団体に配布された。
(写真:市海竜の里センターについてまとめた冊子)
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