浪江町出身、いわき市在住の一匡(いっきょう)さん(本名・鈴木一匡さん=36=)は東日本大震災後、東京電力福島第一原子力発電所事故に惑う暮らしの中、救いを求めるように写経をはじめた。毎年3月11日は自身が書き溜めた仏教各宗派のお経を詰め込んだスーツケースを引いて海へ向かい、祈りのときを過ごすのだという。
原発事故により故郷を追われ、会津地方や南相馬市での避難生活を経て、現在はいわき市に住む一匡さん。中学時代に自閉症スペクトラムと診断され、コミュニケーションに苦手意識はあるものの、外向きな性格で、震災時は派遣社員として食品工場で働いていた。
いわき市に転居後、2022(令和4)年8月、就労支援施設の職員の紹介で障がい者のアート活動を支援する民間団体はなのころ(現在はNPO法人)に合流。震災が発生した11年から書き続けた膨大な量の古代文字のお経が注目されるきっかけとなり、現在は「経師」として活動している。
一匡さんが最初に古代文字のお経を書き始めたのは震災のあった年の秋ごろ。当時、一匡さんは職場の再開に伴い、避難先から呼び戻されて南相馬市で一人暮らしを始めていた。元いたスタッフは多くが避難先から戻らないまま。「皆バラバラになってしまった。お店もやっていなくて町全体の空気が重いなあと。その重さから脱却したくてお経を書き始めた」という。
はじめは馴染(なじ)みのあった法華経をノートに写した。さらに辞書をひき、一文字ずつ難解で絵のような古代文字に変換しながら、根気よく清書していく。1枚の紙いっぱいの文字を定規等を使わず、フリーハンドで書き上げるため、完成には相当の集中力が必要だ。大変だが、文字を書いている間は不安がやわらぎ、祈りへと昇華されていった。文字を書く時間を、一匡さんは「修行」ととらえている。
その1年後、家族の避難先だった喜多方市に移り、書家の高橋政巳さん(樂篆工房)のアドバイスを受けると、一匡さんは文字の魅力に深く引き込まれるように。さらに15年には書を通じて出会った薬師寺長老との対話から、津波で犠牲になった多くの子どもたちの存在に思いを寄せた。それ以降、お経の種類も宗派にこだわらず、多岐にわたるようになっていった。
22年に北海道斜里郡斜里町の知床半島西海岸沖で知床遊覧船が沈没する事故があった際は、半年かけてA4のノート4冊に「海龍王経」を、昨年は世界規模で発生する集中豪雨などの自然災害を受けて風雨災害を止めるお経を、さらに干ばつを受けて雨乞(ご)いのお経も書いた。昨年は「大般若波羅密多経」六百巻の名前をカラーペンで色彩豊かに書き上げるなど、表現も広がりを見せている。
(写真:はなのころのメンバーとして活動する経師・一匡さん)
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<震災14年ー向き合う③>古代文字に祈りを込めて 経師・一匡さん
