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「磐城平城を歩く」いわき市考古資料館長・木幡さん解説 歴史見つめる機会に
市立草野心平記念文学館の文学散歩「磐城平城を歩く」が14日、磐城平城本丸跡に近いJRいわき駅北口を発着点に行われた。下は9歳から最高齢は81歳まで幅広い年齢層の市民が参加した。
戊辰戦争後に廃城となり、石垣、内堀(丹後沢)などの遺構が一部残る同駅北側の磐城平城跡地を2時間ほどかけて巡り、あらためて歴史、文化的価値を見つめ直すとともに、多く『城好き』が来春の供用開始が予定されている「しろあと公園」の有効活用などを望んだ。
同館で7月5日から始まる企画展「吉村昭と磐城平城」(9月21日まで)にちなんだ文学散歩で、市考古資料館長の木幡成雄さん(63)が解説員として先導し、同館職員が補助役を務めた。
参加したのは、生粋の城好きや平市街地の郷土史に造けいの深い住民から、「誘われて参加した」という初心者まで幅広く、参加者たちはまず、本丸跡南側(常磐線北側)の市道を西へ。
内堀跡の南側、駅南口ホテルや並木の杜エリアで行われた「田町曲輪」の発掘調査の成果が紹介された。この後、本丸跡へと続く急な坂を上り、大手門跡から丹後沢公園へと歩を進めた。
本丸跡では、御殿の遺構図や復元図などの資料を見せ、参加者がありし日の姿を立体的に想像できるよう玄関や池の位置を教えながら、丁寧に発掘調査の成果を報告。
戊辰戦争で打ち込まれた不発弾が斜め45度で突き刺さっていた箇所を指し示して「おそらく角度から一町目か三町目あたりから砲撃されたのではないか」、また磐城平城が建っていた地層のさらに70~80cm下には真っ赤に焼けた層があることにも触れ、「岩城氏が統治していた当時は大館城からこの本丸跡まで何かしら大きな縄張りがあった可能性がある」などと、城、歴史好きの想像をかきたてるような話も披露し、参加者たちを喜ばせた。
このあと本丸跡北側の塗師櫓石垣(市指定史跡)なども見学し、参加者たちは一様に満足げな表情で、10万石の城にふさわしい磐城平城跡の価値を見つめ直していた。
友人に誘われて参加したという平の女性(56)は「地図だけではいまいち分からなかったが、立体的に本丸跡が見えて本当に貴重な体験だった」と笑顔で感想を話していた。
ただ、しろあと公園に新設される体験学習施設については一様にがっかりしたようすで、「(外観が)公民館みたい」「歴史的な資料が保存できる博物館のような場所が良かった」「せっかくなら三階櫓を作るべきだった」とため息。城下町を含めた遺構の保存や有効活用を求める声が目立った。
(写真:磐城平城しろあと公園を訪れた一行)