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太平洋戦争終結間際に「模擬原爆」投下 平一小で慰霊祭 犠牲の教員3人悼む
1945(昭和20)年7月26日、時計の針が午前8時50分過ぎたころ、『揚土の丘』にパンプキンと呼ばれる模擬原爆(約5t爆弾)が投下された。爆弾は平一小の玄関のうしろ、中央廊下の東あたりに落ち、校舎は一瞬にして木っ端みじんに。教え子たちを校外の防空壕に退避させた、渡辺寿重校長ら先生3人が命を落とした。
惨事からもうじき80年の節目を迎えるのを前に、同校では犠牲者のめい福を祈るとともに、『戦争を知らない世代』の児童、そして教職員があらためて戦争の悲惨さを考え、命や平和を尊ぶ機会とするために鎮魂祭を催した。
鎮魂祭はいつから始まったか記録がなく定かではないが、55年に建立された校舎中庭の殉職碑前で、昭和から続く伝統行事。今年は11日朝、爆弾が落とされた時間帯に催し、全校児童440人と礼服姿の教員らが出席した。
一人ひとり碑に向けて静かに手を合わせたほか、坂本義仁校長と代表の6年生4人が黙とうをささげた。
このうち山田健成君(11)が「僕たちは、戦争の恐ろしさや悲しさについて学び未来に伝えながら、平和について真剣に考え、戦争の歴史を繰り返してはいけないという思いを持ち続けなければいけないと思います」と考えを発表した。
坂本義仁校長も模擬原爆が落とされた当時の情景、いまも世界で戦争が続いている現実に触れながら、「こんな怖い戦争を二度と起こしてはいけない」と率直な思いを言葉に。「私たちにできることは平和を願うこと。人と人が争うのではなく、話し合い、分かりあいながら協力し、仲良くしていこうとすることが大切」と教え子たちに呼びかけた。
(写真:黙とうする6年生の代表と坂本校長)