ニュース
交通教育専門員50年 渡辺町の稲田好一さん いわき市から感謝状贈られる
渡辺町田部字初田の自営業稲田好一さん(80)に、市から「市交通教育専門員として50年にわたり、市民を交通事故から守るため、毎朝の立哨活動や交通安全指導に献身的に尽力された」として感謝状が贈られた。
市交通教育専門員とは交通量の激しい通学路や交差点などに制服姿で立って、主に登校中の小・中学生の安全を見守るボランティアのことだ。
■ ■
稲田さんは大学卒業後会社勤めをしていたが、28歳のとき家庭の事情で退社し、家業である商店を手伝うことになった。自宅兼店舗は町の中心部にあり、店の前は渡辺小の通学路だった。
そこは東の泉町と北の常磐湯本町から、一方は南の植田・勿来町と、もう一方は西の遠野町(御斎所街道)とを結ぶ常磐―勿来線、釜戸―小名浜線という2本の県道が重なる要所。
今でこそ住宅街を迂回して水田地帯を通る信号機付きのバイパスが開通したが、旧陸前浜街道沿いの宿場町でもあり、昔は車がすれ違うのもやっとの狭い道路の両側に家々が並び、直角に曲がるカーブが定期バスの運行を悩ませた。さらにそこを『信号機のない裏道』との評判から、朝の通勤ラッシュで渋滞する国道を避けた車がひっきりなしに通った。
稲田さんは地元の駐在所のお巡りさんや公民館長から依頼されて、1976(昭和51)年4月、30歳のとき市交通教育専門員を拝命。80歳という高齢と病気もあって今年3月に退任するまで半世紀にわたり、登校する子どもたちの安全を見守った。
「10歳だった子が今では還暦なのだから、よく続けられたと思う。立哨当番の保護者から『わたしも子どものころ、稲田さんのお世話になったんですよ』と言われたこともある。狭い道路を70~80kmで走る車もいたから本当に危なかった。事故がなかったのは幸いだったね」と稲田さんは振り返る。
子どもを通すため車を止めようと、ドライバーから文句を言われたことも少なくない。雨の日も雪の日も立哨は続けた。そのストレスは子どもたちに「おはようございます!」と挨拶されることで解消。卒業の時期、謝恩会に招かれたり、6年生が花束と記念品をもって自宅を訪れたこともいい思い出だ。
専門員の中でも50年続いたケースはまれ。「未来ある子どもたちほど大事なものはない。道路事情はよくなったがいつ事故に巻き込まれるかわからない。これからも地域みんなで子どもたちを見守ってほしい」と話していた。
(写真:感謝状を手にする稲田さん)