向田邦子の随筆に「新聞紙」という1編を見つけた。「新聞も時間により3つに分けられる」とある▼配達されてまだ読んでない今日の新聞は「シンブン」だが、1日たてば「シンブンシ」となる。さらに3日から1週間たてば、それはもう「シンブンガミ」となるそうだ▼「シンブンガミ」は、現在では「古紙」と呼ばれ、家では回収袋に納められ月に1度、市の委託車に乗せられる―いわば用済みの存在だ。昔は、物を包んだり油汚れをふき取ったりなど、それなりに〝活躍〟の場もあったようだが、今はあまり聞かない▼随筆を読み進めると「大掃除の際、畳の下に敷いてあった古新聞を読むのが楽しみだった」とのくだり。同じ経験を持つ人は少なくないはずだ。「そういえばこんなニュースがあったなぁ」と思わず、作業の手を止め読みふけってしまう。古くなってからこんな楽しみ方ができるのも、紙でできている新聞だからこそと、作り手側として、にんまりした。
片隅抄