市内では市街地再開発の名のもとに歴史を刻んだ建物や街並みが消えて、雨後のタケノコのように画一的なビルが立ち並ぶようになった▼沿岸部でも、大震災の津波からの復興で新しい街並みが生まれた。山を崩し、あるいは田畑を埋めて宅地化が進み、新しい道路の開通に向けた工事も続けられ、いわきを10年も離れた人なら、その変わりように戸惑うかもしれない▼平郊外の飯野地区も田園を埋め立てて宅地化されたまちだ。明治22年に南・北白土、上・下荒川、谷川瀬、中山、小泉、吉野谷、上高久の9村が合併して飯野村となったが、昭和25年に村は廃止され平市に編入された▼飯野村の歴史をたどると、開校わずか3年で消えた飯野中学校の存在が見えてくる。昭和22年の新制中学発足当時は現在の平五小敷地内にあったが、平市編入と同時に平三中となった。今は一大商業街区と住宅街だが、「緑の峡に涌く清水……」の校歌に開校当時の村の風景が見えてくる。