日本銀行は3日、新紙幣の発行を始めた。1万円札の肖像は実業家の渋沢栄一(1840~1931)で、いわき地方の近代化にも影響を与えたことで知られる。5千円札は教育者・津田塾大創設者の津田梅子(1864~1929)、千円札はペスト菌を発見した医学者の北里柴三郎(1853~1931)が採用された。
紙幣の刷新は20年ぶり。特に1万円札の「顔」が変わるのは、聖徳太子から福沢諭吉に切り替わって以来で40年ぶり。
新紙幣は日銀から各金融機関に引き渡した時点で発行となり、3日午前8時に行われた。実際に金融機関で新紙幣を入手できるのは4日以降になるケースが多いとみられ、市内の銀行なども本支店ごとにまちまちに設定されている。
特徴としては、肖像が3次元に回転して見える「3Dホログラム」を世界で初めて導入。「すかし」にも高精細な模様を入れ、偽造対策を高めている。また額面の数字を大きく表示し、触れると紙幣の種類が識別できるユニバーサルデザインとしている。
新しい肖像のうち、1万円札の渋沢栄一は「日本の資本主義の父」と呼ばれ、生涯にわたって500を超える企業創設・育成に関わった。
スパリゾートハワイアンズを運営する常磐興産(常磐藤原町)の前身・常磐炭礦は、1884(明治17)年に設立された「磐城炭礦社」が源流となっており、燃料調達の重要性から渋沢は発起人の一人に名を連ね、会長に就任した。
こうした歴史に、常磐興産の西沢順一代表取締役会長は「(セメント王の通称を持つ)浅野総一郎とともに立ち上げ、渋沢さんは3人いたと言われるほど働いたとされる」と話す。石炭を通じて当時の社会活動をけん引し、さらには炭鉱から観光に転換を図って成功した先進性は、渋沢の「何でもやってやろう」という気概に通じるとも語る。
1909年に会長職は離れるが、渋沢栄一記念財団によると、辞める際に「坑内漏水などの困難もあったが防備もつき、石炭の景気も良くなった。経営者らが丹精して経営に当たっているので、前途に危険はないだろう」と後進に託したという。
会長在任中の1889年には、石炭の運び出しのため、平・水戸間の鉄道敷設を目指した「常磐炭礦鉄道期成同盟会」も結成。渋沢らの働きかけで、97年に平駅(現・いわき駅)まで磐城線が開業し、いまのJR常磐線につながっている。
(写真:新しい1万円札の見本)
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