本紙は昨23日付で紙齢2万号を迎えた。昭和21年2月5日の創刊以来、65年11カ月余での2万号到達となった▼本紙はこれまで、隣家火災による本社社屋の類焼で8日間、東日本大震災、東京電力第一原子力発電所事故により7日間の一時休刊を余儀なくされている。また、昭和48年の第1次石油危機による用紙不足・物価高騰で減ページに踏み切ったこともある。66年の中にはさまざまな困難があった▼節目となる5000号は昭和37年3月28日、1万号は53年7月18日、1万5000号は平成7年4月3日。1万5000号のときはすでに入社していたから、少なくとも5000号以上は記事、広告、新聞製作にかかわってきたことになる▼2万5000号のときは何をしているか。単純計算で約17年後となる。退職を迎えているかもしれないが「市民の夕刊」「いわきの地域紙」としての使命・役割を再認識しながら、これからも毎日の新聞発行に全力を挙げよう、と思う。