小説家柳広司が2月に出した短編集『象は忘れない』は、福島原発の事故が題材の5編から成る。表題は「象は記憶力がよく、自分の身に起きたことは決して忘れない」という英語のことわざに由来する▼それぞれの作品には、原発の下請け工事に従事する男性の苦悩や、家族が崩壊し幼子を連れ東京に避難した母親が味わう疎外感、避難指示解除地域の線引きにより分断される幼なじみの友情などが描かれている。いまだ何も終わってないことをひしひしと感じさせられた▼中でも印象に残ったのは、事故前は福島原発が東京に電気を提供し、日本の経済を支えていると信じていた女性が、原発なしでも明るく輝いている今の東京を見て、原発の必要性を考えるくだり。気が重くなった▼また、各作品のタイトルを「道成寺」「善知鳥」「俊寛」など能の演目から採っていることにも意を感じた。著者によると「この世の外の者(死者)との邂逅を扱う能の形を借りた」という。
片隅抄