10年たった今でも、震災当時の映像を見ると船酔いしたかのような気持ち悪さを感じ、動悸(どうき)が速くなる。心的外傷後ストレス障害なのかもしれない▼数年間は無我夢中で震災、原発事故の取材を追っていたためか何でもなかったが、テレビで宮城沿岸に押し寄せる津波の映像をふと目にして気分が悪くなり、以降、当時を思い出しただけでも症状が現れるようになった▼黒い波が町を覆い命からがら近くの建屋に避難。続く原発事故では屋内避難が呼び掛けられる中、同僚から「ただちに影響はないから大丈夫」と皮肉じみた言葉を掛けられ、人っ子一人いない鹿島街道をひた走った▼当時、34万を超える市民が震災、原発事故と向き合い必死に生きようとした。抄子には苦い思い出しかないが、震災の教訓は、その後続く大規模災害、コロナ禍で確実に役立っている。明日から、元日号に掲載した震災にまつわる物語が再開する。いまを生きる人たちの共感となれば幸いだ。