4月30日付の夕刊発・磐城蘭土紀行で、早咲くフジの花にちなみ、磐城平藩を治めた内藤家の家紋「下がり藤」が紹介された。その一文にある「カネは内藤、下がり藤」。疑問に思いつつも受け流していたが、後ほど調べ、江戸らしい言葉遊びにうなった▼現在の長野県佐久市を治めた譜代の小藩・岩村田藩。平藩初代藩主内藤政長の親族が幕末まで統治したが、厳しい台所事情から「金は内(カネはない)藤志摩守、すそからぼろが下がり藤」と皮肉られたそう。財政厳しい小藩数ある中、名で揶揄されるのは何とも切ない▼平藩の内藤家は来年、入封400年の大きな節目を迎える。現在に至る産業の骨格や基盤を整備したというが、私たちには3代藩主の次男で松尾芭蕉とも交友した俳人〝露沾〟こと義英が親しみ深い▼来月20日から、内藤家の記念講座が始まる。義英が関わる事件も取り上げるとか。ただ、すべての題材を騒動や事件とするのは少し寂しい気もする。