1622(元和8)年、一代限りで磐城平藩からお家騒動後の山形藩20万石に栄転した鳥居忠政に代わり、上総国佐貫藩4万5千石(今の千葉県富津市)から内藤政長が7万石で入封した▼今からちょうど400年のことだ。これより磐城平藩は内藤氏が6代にわたって藩主を務め、延享4(1747)年に政樹が日向国延岡藩(今の宮崎県延岡市)に転封されるまでいわきの地を治めることになる▼内藤氏の時代は、いわきの近世史を語るうえで重要な位置を占める。分藩として泉藩と湯長谷藩が成立したことのほか、藩主暗殺を企んだ松賀騒動や元文百姓一揆、沢村官兵衛の小川江筋開削もあった。俳句を愛した義概(風虎)、義英(露沾)親子もいた▼内藤氏入封400年の今年、新型コロナに配慮しつつどんな記念行事が行われるのだろう。波乱に富んだいわきの近世史にスポット当てるいい機会だ。問題は会場。ここでも博物館・歴史館がない悲哀に見舞われるのだ。
片隅抄