大河ドラマ「どうする家康」。物語は佳境に入り、先日、最大の見せ場となった関ヶ原の戦いが終わった。〝裏切者〟の代名詞たる小早川秀秋を勇ましく描くなど、新解釈を取り入れた演出を喜ばしく思うとともに、いわき市民として前哨戦の伏見城攻防戦に時間を割いたことが気に入った▼石田三成の大軍勢をわずかの手勢で13日もの間防ぎ切り「三河武士の鑑」とまでたたえられた、鳥居元忠公。脚色された劇中の死に様は多くの涙を誘ったが、家康はその戦功から次男忠政に磐城平藩10万石を与えた▼平字胡摩沢の曹洞宗寺院長源寺は、忠政が父の菩提を弔うため建立した。傍らには後ほど元忠夫人の五輪塔が造立され、平成9年に市指定史跡となった▼ちなみに鳥居家から藩を継いだ内藤政長公の父も伏見城の激しい攻防戦の末、討ち死にした。不穏な動きを見せる仙台藩をはじめ東北諸侯ににらみを利かす要所として、いかに家康が重要視していたかがうかがえる。