いわき市の南の玄関口・勿来。その名が一般的になったのは、意外にも明治に入ってからという▼市が地元の歴史や習わしを紹介する「いわきの『今むがし』」によると、現在の常磐線にあたる日本鉄道磐城線水戸―平駅間が1897年に開通した際、地名から「窪田駅」と考えられたところ、地域住民が近接する勿来の関にちなんで「勿来駅」を要望。それから28年後の1925年に、行政名として勿来が付けられる▼戦後は観光地としても栄え、1956年の夏には勿来海水浴場に70万人も訪れた。昨夏が1万人に満たなかったことを考えると隔世の感だ。66年7月26日付の本紙には、郡山から勿来までの臨時列車が仕立てられ、満員であると伝えている▼その勿来駅は2026年冬ごろの供用開始を目指し、駅舎建て替え工事が始まった。関係者向けのパース図では、木のぬくもりを感じられる待合が描かれていた。時代が変われど、多くの人を迎える役割は不変だ。