3歳から父子家庭で育ったひとり娘。父はあるときは兄弟に、またあるときは母親代わりになって見守ってきた▼父子の暮らしが当たり前で、「どうしてわたしにママがいないの?」と問うこともなかった娘が不憫で、布団の中で常田富士男さんばりに絵本の読み聞かせをしたり、せっせと毎日の食事やお弁当を作ってあげるのが父親としての罪滅ぼしだった▼3歳の娘は30歳になった。というのに嗚呼! いまだに上げ膳据え膳の厚遇を受け、父親得意の卵焼き入り弁当箱を持って仕事に行く。娘の細胞のほとんどは父の手料理によって構成されている。容姿が決して見よくないのはそのせいかもしれない▼15日。砂糖がどこにあるかも知らない娘が久しぶりにキッチンに立った。「父の日」だから手料理を振る舞うのだという。献立は大根とイカと卵の煮物だ。血圧が高い父向けに塩分は控えめ。不思議なもので記憶にないママの手料理に似ていた。父親のひいき目かな。