昭和40年代を過ごした小学生のとき、もっぱらスポーツに取り組んだのは、サッカーでも野球でもバスケでもなく、相撲だった▼今のようにスポ少やクラブチームの活動が盛んでなく、しかも山あいの小さな学校だったせいもある。校庭に丸を描き、元気な体があればすぐできる格好のスポーツだったのだ▼大鵬、柏戸から北の富士、玉の海全盛のころで、ほかにも琴桜に清国、旭国、富士桜、若き日の貴ノ花に輪島ら個性あふれる力士が土俵をにぎわせていた。抄子は北の富士の外掛け、玉の海の上手投げ、琴桜ののど輪を彷彿とさせる技能力士で、同級生と放課後、15番取り合って番付を競ったものだ▼いま大相撲は空前の人気で、連日満員御礼だというが、それに反して新弟子の数が激減しているという。厳しい稽古のイメージや廻しへの抵抗が消えないのだろう。久之浜一小や長倉小にあった土俵は今もあるだろうか。あかつさんの道場に通う子どもたちが羨ましい。