旧磐城平城下に位置する、閑静な住宅街の一角に、千年以上の歴史を刻んだ「さわの湯鉱泉」が〝あった〟。鉱泉を名物にし、戦前から続く老舗旅館は湯治客らに親しまれてきたが、東日本大震災の影響から営業再開を断念。3代にわたり旅館を営んできた永山知佐子さん(73)は数々の思い出とともに〝閉湯〟を惜しむ声を受け、ギャラリーとして13年ぶりに名湯の名を復活させることを決意した。
「ギャラリー笑福(えふく)さわのゆ」。こけら落としとして、10日まで交流のある〝鉄の彫刻家〟安斉重夫さんと賛同者たちによる能登半島地震を支援するチャリティー展が開催されており、多くの人がありし日の旅館の姿を懐かしんでいる。
さわの湯鉱泉の開湯は古く、真言宗の開祖、弘法大師(空海)が発見したという言い伝えも残る。正式な記録では旧磐城平城の絵地図、古文書に「ふろのさわ」などと記載されている。
永山さんの祖母が1936(昭和11)年、売りに出ていた旅館を買い取り、旅館業を始めた。知佐子さんは父秀明さんとともに旅館を切り盛りし、〝子宝の湯〟としてご利益を求める湯治客や、運動部の学生たちの合宿先としても定番の宿に。かつては2階の宴会場で結婚式も行い、「新婚旅行がここだったのよ」と当時を懐かしむ人もいるほどだ。
しかし、2011(平成23)年の東日本大震災で被災すると、湯船が壊れて湯が貯められない状態になり、そのは長期休業。再開の道を探ったものの、17年に惜しまれつつも閉湯した。
その後も再開を諦めなかったのは、大地震に耐えた母屋、そして、その場に残るたくさんの思い出、人との縁があったからだ。
知佐子さんは「たとえ形が変わっても、再びみなさんが集まり、楽しめる場所にしたい」と考え、手仕事をたしなむ友人たちと相談し、〝昭和レトロ〟な風情が味わえるギャラリーとして再び命を吹き込むことを決めた。
震災後は静かだった旅館のにぎわいに「父も納得して、喜んでくれるかな」と目を細めた。新生〝さわのゆ〟が震災前と同様、多くの人たちの憩いの場として親しまれることを願う。
企画展は10日までとなり、チャリティー展の一環として、9日午後1時半~3時は内郷ハーモニカ愛好会の演奏会を開く。入場無料。15~31日からは、須賀川の手づくり工房「すないぷ」の「つるし飾りと小もの展」を開催する予定。
会期中は無休となるが、それ以外は日、月、火曜日午前10時~午後4時のみの営業となる。
(写真:ギャラリーとして再開した永山知佐子さん)
ニュース