2011(平成23)年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9・0の大地震が発生。未曾有の被害をもたらした東日本大震災、東京電力福島第一原発事故から、11日で14年が経った。
震災を知らない世代が少しずつ増え、時とともに過ぎ去りつつある悲惨な事実を教訓とし、風化させまいとする伝承への取り組みも迫られている。こうした中、「あの日を決して忘れまい」といわき市各地では津波などで犠牲になった人たちを悼み、鎮魂の祈りをささげる追悼式が行われた。
久之浜海岸には、地震発生時刻の午後2時46分に合わせて多くの人が集まった。追悼式会場周辺の稲荷神社はメッセージが書き込まれた黄色いハンカチ約400枚や献花で彩られ、最後に海岸で折り鶴のお焚(た)き上げをするなどし、犠牲者の御霊を弔(とむら)った。
久之浜・大久地区では最大7・45mの津波を記録し、その直後に発生した火災と合わせて1万5000平方mが焼失。関連死も含めて69人の尊い命が奪われた。また、原発事故の発生により、市では唯一、市独自の判断による自主避難が実施された。
3月11日にはボランティア有志による花供養が長く行われており、それを引き継ぐ形で住民らによる「3・11の会」が追悼行事を行うように。今年も住民やSNS上での呼びかけに応じた「いわきFC」とそのサポーターの協力で約1万羽が集まった。地震発生時刻に合わせて黙とうした後、思いのこもった鶴をお焚き上げした。
当時は消防団として火災の鎮火活動に協力した根本重和市議(48)は「最近は震災を知らない子どもたちも多い。『津波が来たら高台へ』という震災の教訓を次世代へ伝えていきたい」と思いを新たに。
町内の自宅が津波で流出する被害にあった、元久之浜大久支所長で、現在は久之浜・大久地域づくり協議会会長を務める遠藤喜一さん(66)は「目に見える部分は復興しているが……。人口流出に歯止めをかけ、防災緑地内に植えた桜を子どもたちと囲める日が来るよう願いたい」と静かに祈りを捧げていた。
(写真:犠牲者を追悼して行われた折り鶴の焚き上げ=久之浜海岸 表:数字で見るいわき市の東日本大震災)