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<震災14年ー向き合う⑥>サーフィン聖地・豊間復活 ショップ営む鈴木孝史さん
年間を通じて波乗りに適した質の良い波が届くことから、サーフィンの聖地とも呼ばれる豊間海岸に、サーファーたちが戻ってきた。
東日本大震災で壊滅的な被害を受け、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響もあり、しばらくの間は海に入るのを自粛したり、県外に避難する人も。コロナ禍でも自粛が呼びかけられたが、近年、子育て世帯を中心に移住者が増えるなどして、老若男女でにぎわうかつてのような風景がよみがえった。
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震災前まで、薄磯海水浴場前で30年以上、営業してきた老舗サーフショップ、スローダンサー店主の鈴木孝史さん(71)は「多くの仲間の協力がなければ、今の状況はなかった」と14年間を振り返った。
2011年3月11日、震度6弱の地震が発生した。「とんでもねえ津波が来っぞ」。平豊間のコンビニ店主だった金成伸一さん(66)の叫び声を聞いた。
車の窓を全開にして怒鳴り続ける金成さんの勢いに促され、両親と長男、6本のサーフボードを持って車で避難。第1波が小さかったことから父三郎さん=享年84=は片付けのために家に戻った。海の目の前にあった自宅兼店舗は第2波以降の津波に襲われたとみられ全壊。多くのサーフボードとともに父を奪われた。
市内で最も甚大な被害を受けた薄磯、豊間地区の復旧・復興は困難を極めた。さらに原発事故が追い打ちを掛ける。市内にも放射性物質が降り注ぎ、高濃度汚染水が海に流出する事態にもなった。「サーフィンどころではないだろう」
ウニ・アワビ漁師でもある鈴木さんは仲間とともに、海の中にがれきが残っていないか、調査を始めた。もし何かが残っていたら大けがにつながってしまう――と、まだ冷たい海に潜り、水中メガネ越しに丹念に海底の状況を確認した。
2012年5月、サーファー仲間50人近くが花を持って海に入った。海に浮かんで手をつなぎ、大きな輪を作った。犠牲者を悼むとともに「(新たなまちづくりを進める豊間地区を)見守ってください」と祈った。震災から3年後、鈴木さんは豊間地区の内陸で新たな店をオープンした。
豊間地区は基幹産業の水産加工業や民宿が津波被害を受け、軒並み廃業。自治会などは限界集落への懸念から、若い住民を呼び込む取り組みを始めた。地区の高齢者らが子ども向け自然体験会や多世代交流会を企画したり、通学路の見守り活動にも協力。市中心部に比べ、住宅価格が手ごろなこともあり、23年10月には世帯数が震災前を上回った。
人口も回復傾向をみせ、市立豊間小の児童数は今年度、震災前を超えた。隣組長を務める鈴木さんは地域に起きる小さな変化に気付き始めた。
これまでとは違い、海で会う若いサーファーらが草刈りや祭りの運営などの奉仕作業に積極的に関わるようになってきたという。移住者を受け入れ、新たなまちづくりを模索する旧住民と、自然豊かな魅力に惹(ひ)かれ、新しい生活を始めた若者たちの好循環。鈴木さんは「喜ばしいことだ」とサーフィンの聖地復活を喜んでいる。
(写真:震災後を振り返る老舗サーフショップ、スローダンサー店主の鈴木孝史さん)