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<震災14年ー向き合う⑦>岐路に立ついわきの漁業 四倉のホッキおいしさ伝える

 いわきの漁業はいま、岐路に立たされてる。東京電力福島第一原発事故により操業自粛を余儀なくされた時期に比べ、いわき市の水揚げ量・金額は復調傾向にあり、世界一厳しい放射性物質の自主検査体制を背景とした〝常磐もの〟の安全・安心の確保と情報発信、ブランド化が実を結び、市場からも高い評価を受けるようになった。
 しかし一方で、就業者数が震災前年の604人から、2020(令和2)年で388人に激減する事態に。「担い手不足」が懸念されるなか、祖父、父と3代にわたりホッキ漁を営み、持続可能な漁業に取り組む四倉町の佐藤文紀さん(34)ら若手漁師の存在が、いわき市の漁業に明るい兆しをもたらしている。
 佐藤さんは、四倉の名産でもあるホッキ貝の漁に挑む父・芳紀さん(66)=市漁業協同組合四倉ホッキ組合長=の姿にあこがれ、自然と漁師の道を歩むことを心に決めていた。
 高校を卒業すると同時に漁師になろうと思ったが、芳紀さんの勧めもあり、立正大に進学。しかし2年生のときに震災が起き、故郷が甚大な被害を受けたことを知った。幸い家族は無事だったが、原発事故で漁業の見通しは立たず。被害を目の当たりにして「今後どうなっていくのかが分からない不安があった」と、大学卒業後は一般企業に就職した。
 しかし居ても立っても居られなかった。2015(平成27)年にいわき市でホッキガイの試験操業が始まった。佐藤さんも脱サラして、夢にまで見たホッキ漁の漁師としての一歩を踏み出した。
 いわき市のホッキガイはかつて、明治から昭和にかけて漁が行われていたが、1952(昭和27)年を最後に途絶えていた。再開したのは88年。名産を復活させた背景には、漁獲環境の整備に尽力した父・芳紀さんら漁業関係者の熱意があった。
 しょう油、酒、みりんなどで味付けし、煮汁で米を炊く「ホッキ飯」は人気で、「身が厚く味もしっかり濃いので、一口食べれば魅力は伝わると思っている」と佐藤さん。殻は生のウニを盛り付けて蒸し焼く「ウニの貝焼き」に使い、捨てるところがない。
 佐藤さんは漁の傍ら、道の駅よつくら港での直売イベントや東京海洋大の文化祭「海鷹祭」に参加して試食を配る活動などにも取り組み、風評被害の払しょくと安全性、何より震災前と変わらない、四倉産ホッキのおいしさを伝えてきた。
また未来へと漁業を繋いでいくため、20、30代を中心とした若手の漁業団体「いわきfisher’s network(フィッシャーズネットワーク)」を立ち上げた。
 (写真:漁業振興に奔走する佐藤さん)

PR:いわき市北部地域を中心に、児童養護施設、老人保健施設、特別養護老人ホーム、ケアハウスをはじめ、診療所とデイケア、デイサービス、居宅介護支援、訪問介護、訪問リハビリと多種多様な福祉、医療事業を展開。

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