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いわき市制施行60周年 「人口集中地区」の設定や消失からみる街の変容

 1966(昭和41)年10月1日、平、磐城、勿来、常磐、内郷の5市と旧石城郡の四倉、遠野、小川の3町、好間、三和、田人、川前の4村、そして双葉郡の久之浜町と大久村の14市町村が対等合併し、日本一広い(当時)面積を誇る「いわき市」が誕生した。そして今年10月1日に市制施行60周年の『還暦』を迎える。
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 14の旧市町村は商業、港湾、漁業、鉱業、工業、温泉、中山間地とさまざまな機能を有しており、財政規模・状況も大きく異なっていた。工業進出が盛んな地域ではさらなる発展を、炭鉱閉山で財政困難な地域では疲弊脱却を、とさまざまな思惑を抱えながらの船出で、荒波は容易に予測できた。
 いわき市の合併から遡ること10年。14市町村のうち10の市町村は「昭和の大合併」でようやく合併を果たしたばかりで、その合併内地域の融和を図るのに汲々していたのが、また『その上をいく』合併である。いわば「呉越同舟」にも等しい感以降の60年の歳月だったといえる。
 よく、いわき市を端的に表現する言葉として「広域多核都市」が使われる。「広域」は容易に理解できる。合併した時点で、日本で最大の市域面積(現在は12番目であるが、広域であるといえる)を有していたのだから。
 では、「多核」はどうだろう。平、磐城(小名浜)、勿来、常磐、内郷の5市が隣接していることを表現しているようにみえるが、明確ではない。
 これを法的根拠に基づいて指標として表わす方法として「人口集中地区」がある。5年に1度の割合で実施される国勢調査で公表される。
 いわき市における人口集中地区の変遷でみると、次のようになる。
 1960年=平、小名浜、江名・中之作、錦(中田)、湯本、綴・内町、高坂、四倉、好間が設定(設定地区=9地区)
 1965年=綴・内町、高坂が内郷として統合。錦に代わって植田が設定。好間が消失(同=8地区)
 1975年=新たに錦(中田)・窪田が設定(同=9地区)
 1980年=新たに泉が設定。内郷が平と合体(同=9地区)
 1985年=江名・中之作が消失(同=8地区)
 1990(平成2)年=新たにいわきニュータウンⅠ、神谷・泉崎、平窪がそれぞれ設定。江名・中之作が消失(同=10地区)
 1995年=泉が小名浜と合体(同=9地区)
 2000年=いわきニュータウンⅡが設定(同=10地区)
2010年=いわきニュータウンⅠが平と合体(同=9地区)
 2020(令和2)年=平窪が消失(設定地区=8地区)
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 このように時代を追ってみるとき、合併時と比べ多核都市としての機能は相変わらずであるが、入れ替わりがある。これに社会変化を重ねてみると、炭鉱の閉山、漁業の衰退、市街の郊外化、いわきニュータウンの開発、令和元年東日本台風の影響がみえてくる。
 一方、人口集中地区における人口総計でみると、1965年では12万5690人(全人口の37・6%)であったが、2015年には震災による双葉郡からの被災者流入の要因もあって17万3057人(全人口の49%。1995年以降、48%台で推移)まで増えた。
 しかし、2020年には一気に14万3992人へ減少し、全人口に占める割合も43%まで減少している。
 全体人口の減少もさることながら、市街地の空洞も本格化していることが読み取れる。
「広域多核都市いわき」が誕生してから60年。この間は社会・経済の変化に対応してきた60年といえるが、人口減少が鮮明となるなか、いわきの都市形態はどのような舵取りによって方向づけされるのだろうか。(地域歴史研究者 小宅幸一氏)
 (写真:古河好間炭礦。1964年に閉山したこともあって、65年の国勢調査では好間の人口集中地区が消失した=65年ごろ撮影 いわき市所蔵)

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